荒谷紀子さん(70回生)
NHK編成局展開戦略推進部チーフプロデューサー
2019年4月5日
報道畑から、出産、子育てを機に、国際放送局へ移動。大海にコップの水を注ぐがごとしだった手ごたえが、日本のグローバル化とともに職域が広がり、結果キャリアを築くことにつながった。
荒谷紀子(岳 紀子)みこころ会70回生
小学校時代をスペインで過ごし、中等科に入学。東京大学文学部社会学科卒業。
平成元年NHKに入局。報道番組ディレクターとして、ニュース番組やクローズアップ現代、NHKスぺシャルなどを担当。平成13年に国際放送局に異動し、以来、海外向け番組の制作、番組の購入や展開に携わる。国際放送局で制作したドキュメンタリー「母たちの祈り」は、アジア・テレビ賞やニューヨーク・フィルム・フェスティバルで受賞。
女性の働きやすさを考えNHKを志望。報道局でマスメディアの力を痛感
ーー 現在の仕事の内容を教えてください。
荒谷さん(以下敬称略) 展開戦略推進部という部署は、NHKの放送だけではリーチできない人々に様々な形でNHKのコンテンツを届ける役割を担っています。私自身は、主に海外に展開する番組の開発や制作支援、番組見本市やコンクールへの出品などを行っています。海外の制作者やジャーナリストなどとのネットワークを築き、マーケットやコンクールのトレンドを分析し、どの番組をどのような形で展開していくかの戦略を立て、実施する仕事です。
―― NHKへの志望理由は?
荒谷 雇用機会均等法が施行されたあととはいえ、まだまだ働く女性が少ない時代でした。大学(東京大学)の先輩を訪ねて話を聞くなかで、女性が比較的働きやすい職場だと感じたことが大きかったですね。実は、すごく強いマスコミ志望というわけではなかったんです(笑)。いろいろな方のお話しを聞いたり、いろいろなところに取材に行ったりして、番組を作ることは面白そうだな、と。そんな軽い気持ちで、というと申し訳ないのですが、受けてみました(笑)。
―― 最初の配属は?
荒谷 希望した通り、報道でした。まだ右も左もわからない入局1年目に、「なんでも興味があるものを取材してこい」と言われまして。今考えるとずいぶん大らかな教育方針だったと思うのですが、高校の理科の里見宏先生のお話しが面白かったのを思い出し、当時、国立公衆衛生院にいらしたので、「何か面白い話ありませんか?」と学生気分で伺ったところ、ワクチンの研究をしているお医者さまを紹介してくだいました。そのつながりで、当時、鳴り物入りで導入されたばかりだった新ワクチンに実は高い確率で副作用があるというデータを入手し、番組で取り上げたところ、あれよあれよという間に国が動き、接種が実質的に取りやめになるにいたったのです。一新卒の意見が取り上げられ、番組を作り、最終的に国を動かすことになり、マスメディアの力に驚くと同時にともに、やりがい、そして大きな責任を感じました。
結婚、出産を機に国際放送局へ。女性としてのやりがい
―― 国際放送局へ移られた経緯は?
荒谷 その後、仙台放送局に転勤になり、その間もずっと報道畑でした。30で結婚し、33歳で子供を生んだのですが、その頃は「おはよう日本」を担当しており、早出のときは泣いている子供を主人に預け、午前3時に出勤。そんな生活が続き、これはもう無理と、異動願い出ました。ところがもう一年頑張ってくれと言われ、困り果てていたところに、それまでラジオが中心だった国際放送局で、テレビを拡充することになり、どうだ? 英語は大丈夫か?と聞かれ、一も二もなくとびつきました。正直、英語は聖心で学んだだけで自信はなかったのですが。異動後数年は子育てにシフトしつつも、時代の流れの中で国際放送局のニーズが増し、仕事の幅も広がり、とてもよい流れで自分自身のキャリアを築けたと思います。そういう意味では子供を持ったことも神様のお導きだったのだと思います。
―― NHKという組織の中で、女性であることのメリット、デメリットは?
荒谷 私が入社したときは女性は2割くらいと、まだまだ男性中心の職場でした。報道の先輩では7~8人くらいしかいませんでした。事件の現場に女性を向かわせるかどうするか、上司から許可が出ない、今では考えられないような時代でしたから。それが今年の新卒採用は女性が過半数だそうです。時代は変わりました。本来は視聴者の半数、いや半数以上は女性ですから、番組づくりにもっと女性の感性や視点を生かしていくべきだと思うのですが、残念ながら、まだそこまでの決定権のある立場に女性は少ないんです。それが今後の課題でしょう。また、女性ならではの柔軟性というのは、仕事にはとても有効だと思っています。仕事とおしゃべりの間のようなところで、有益な情報をとれるのが強みです。男性のように変なプライドが邪魔しないですし(笑)。
―― 仕事で一番やりがいを感じるのはどんなときですか?
荒谷 現在は直接番組を作る立場ではありませんが、モノ(コンテンツ)を作り、人に伝えることの面白さや、やりがいは仕事の原点です。そこが楽しんでできなければ、この仕事は続かないと思います。だから、いい番組を作るための枠組みづくりを今はとても大切にしています。人の配置やプロデュースがうまくいって、いいものが作れたときには、本当に嬉しいですね。それが、後進を育てることにもつながりますから。
聖心の教育で身に着けた個を仕事に生かす
―― 学生生活で特に印象に残っている思い出はありますか?
荒谷 高等科3年の担任が三浦怜子先生だったのですが、学校推薦に応募しようとしたとき、「あなたがそれに甘んじてどうするの。推薦はほかの人に譲って受験に挑戦してごらんなさい!」と、東大を受けることを激励してくださいました。まだまだ多くの先生方が聖心女子大に進むことを勧めていらした時代に、個人の能力やポテンシャルを正しく見極めて進むべき道を示してくださる姿勢は、とても心に響きました。今でもとても感謝していますし、考え方の一つの基準にもなっています。
―― 聖心で学んだことで、現在の仕事に生きていることは?
荒谷 国際放送局では、日本から海外に出していかねばならないものやことを一番に考えて番組を制作していました。東日本大震災後に「母たちの祈り~フクシマとチェルノブイリ~」というドキュメンタリーを作りました。震災後数年を経てなお、子供たちのために何をすべきなのか、何をすればよかったのか、自責の念にかられているお母さんたちの苦悩を描いたものです。その根源には、何か人の役に立つ仕事がしたいという、聖心で自然と身についた考え方があったのだと思います。また、サラリーマンであれば不本意な仕事や状況におかれることもあるわけで、そんなときにも腐らないで、できることから淡々とやる。諦めるのではなく前向きに受け入れる、そんな素地ができたのも、三光町で過ごした日々のおかげではないかと思っています。
―― みこころネットワークに求めるものがあれば
荒谷 子育て、介護、愛読書、趣味など、テーマを設けて、興味のある人を募り、その話題に関して話し合う、そんな集まりも素敵なのではないかと思います。初めて会う方でも、年齢が違っても、共通の興味や関心があれば会話が弾みます。同窓生であれば、瞬時に距離が縮められるでしょう。
インタビュー&記事 小松宏子(63回)
フードジャーナリスト。料理研究家の家庭に生まれ、幼いころから料理に親しむ。雑誌や料理書の編集・執筆を通して、日本の食文化を伝え残すことがライフワーク。編著に『茶懐石に学ぶ日日の料理』(文化出版局)など。25ansウエディング 新米花嫁に贈る「毎日をちょっと美味しく」http://www.25ans.jp/wedding/
みこころ会100周年記念誌『みこころ会100年の歩み』編集長。